イタリア語四週間

イタリア語四週間

「イタリア語四週間」は、発音、名詞及び名詞に付添う品詞を説明し、主として動詞のことに移り、会話、手紙、長文訳読にまで学習できます。また毎日の課外に練習問題を課しているようです。

■著者
徳尾俊彦 1887-1942
徳尾俊彦は、日本のフランス語学者・イタリア語学者。1921年東京外国語学校フランス語科卒、大阪外国語学校教授、関西大学教授。陸軍大尉で予備役となっていたが応召し少佐。仏印に従軍し航空機事故で死去。フランス語、イタリア語の教科書などを多数執筆した。(ウィキペディアより)


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坂田三吉&小林東伯斎「将棋秘手 附・詰将棋」

坂田三吉&小林東伯斎「将棋秘手 附・詰将棋」

坂田三吉&小林東伯斎「将棋秘手 附・詰将棋」は、あのレジェンドの坂田三吉さんも共著者になっている本です。
定石の必要性から始まり、初心者の上達法などがかかれています。
最後の方に詰将棋ものっていますので、伝説の将棋指し坂田三吉さんと時空を超えて相まみえるような気分も味わえるかもしれません。


■著者
坂田三吉(さかたさんきち)
[生]明治3(1870) [没]1946
将棋棋士。将棋では天才とうたわれ,1916年独学で8段に昇進し,38年には第2期名人戦に出場した。関根金次郎との名勝負は有名である。没後,日本将棋連盟から名人位と王将位を追贈された。将棋一途に生抜いた数奇な生涯は第2次世界大戦後劇作家北条秀司の手で『王将』として劇化され,芝居や映画,演歌で人気を博した。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より)

小林 東伯斎(こばやし とうはくさい)
[生]文化8年(1811年) [没]明治31年(1898年)
江戸時代末期から明治時代にかけての将棋指し。天野宗歩門下。八段。紀伊国(和歌山県)出身。小林定楠(諱)、小林東四郎(字)とも名乗る。

紀州にて生まれたとされている。当初の足跡には不明な点が多いが、大橋分家の大橋宗与から受けた四段の記録が残されているため、当初は大橋分家の門下で修業したものと思われる。
その後、関西へ戻り、大阪で生活していたようである。
天保15年(1844年)2月、後に棋聖と称される天野留次郎(天野宗歩)が将棋修行のために大阪を訪れ、左右香落とされで対戦し、二連敗する。後に天野宗歩の弟子となり、市川太郎松、渡瀬荘次郎、平居寅吉と並び、「天野宗歩の四天王」と呼ばれるようになった。宗歩の評では、将棋の実力では市川太郎松に次ぐほどだという。しかし、宗歩との対戦記録はこのときのものが最後であり、また嘉永3年(1850年)、宗歩が妻のために建立した墓の台石に宗歩門下49名の名が刻まれているが、小林の名はそこにはないことから、宗歩とはさほど親しくなかったのではないかとも推測されている。
天野の死去後には、棋客を求めて全国を渡り歩き、明治初期には八段に昇段した。当時の八段は次期名人候補として準名人と呼ばれ、小林の存命中に八段に昇段した者は、小林以外には大矢東吉、小野五平の2名しかいなかった。
明治時代に入って家元の伊藤家らは幕府の将棋所の地位を失い、家元を中心にした将棋界の体制が崩れていく中、小林は家元から距離を置いて関西を拠点に活動した。この頃から「東伯斎」の号を用いるようになり、「東の宗印(十一世名人の八代伊藤宗印)、西の東伯」として時の名人と並び称される。
また、関西圏の有力者に推され関西名人(大阪名人)を名乗る。この間、阪田三吉や井上義雄らを門下に迎える。なお、現在阪田流向かい飛車として知られる戦法は、小林が兄弟弟子の渡瀬荘次郎との対戦でその原型を使った棋譜が残っており、小林から阪田へ伝えられたものと推定されている。
明治24年(1891年)には、八代伊藤宗印の弟子で関西遊歴中の関根金次郎(後の十三世名人)と角落ちでの指導対局をしている。
関根は、関西遊歴は小林に教えを乞いたいがためであり、死にもの狂いで対局したと回想している。一局目は小林が完勝し、二局目も小林が勝勢であった。小林は、遥々東京から来た関根を二連敗で帰すのはかわいそうだと考え、関根に花を持たせるために指し掛けとすることを提案した。しかし、関根はこれを断り、二局目も結局小林の完勝であった。対局後、指し掛けの提案を断って最後まで指しきったことに感心した小林は「勝負度胸といい手筋といい得難いものじゃ。宗印先生は、よいお弟子を持たれた」と周囲の人々に聞こえるようにわざと大きな声で関根を褒め称えたという。
1898年に大阪で死去。小林の死後、弟子の阪田と井上はともに八段にのぼり、名人の候補にもなった。特に阪田は小林の名乗った関西名人(大阪名人)を引き継ぎ、東京の名人であった関根に対抗した。(ウィキペディアより)


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囲碁定石くずし 第1巻

囲碁定石くずし 第1巻

「囲碁定石くずし 第1巻」の「はしがき」によれば、
「定石なるものは、いわば正道であって、上手同士、または上手に対して、正々堂々と戦うときの道で、上達者でなければ定石もなにもあったものではありません。形も筋もお構いなしで、勝った、負けたと、番数を打ちさえすれば、実はそれで本望を達したともみられます。しかし、根が勝負事であるから、お互いに負けたくない、勝ちたいという気持ちは山々です。しかるに、定石ならば、置碁でも互先でも、一から十まで心得ていても、敵が定石外れを打ってくると、その挨拶に窮して、定石を覚えた効能もなく、負かされることが往々にしてあります。そこで正道ばかりでなく、権道の心得もなくてはならぬことになります。
本書は、この権変の術数を説いたもので、題して「定石くずし」というのも、それがためです。だから、これをよく呑みこんでいれば、敵をいじめることもできれば、敵のために致されることもない道理で、実戦上、きわめて有利であることは、著者の信じて疑わぬところです。」

本書「囲碁定石くずし 第1巻」を通して囲碁の高度な実力をつけることのできる名著です。

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posted by Ventvert at 16:26 | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ハンガリー王妃の「若返りの水」をローズマリーを中心とした4種類のハーブウォーターで再現した贅沢な化粧水ハンガリーウォーター




ハンガリー王妃の「若返りの水」をローズマリーを中心とした4種類のハーブウォーターで再現した贅沢な化粧水ハンガリーウォーター

ハンガリーウォーターは、14世紀イタリアの修道院で作られたと言われています。
伝説では、夫をなくし、美貌は衰えリウマチに悩んでいた当時72歳のハンガリー王妃エリザベートに献上され、王妃はこのハンガリーウォーターを食事や洗顔、化粧、入浴などに使ったところ、持病のリウマチが治り、美貌と若さまで取り戻し、77歳のとき、隣国ポーランドの20代半ばの王子からプロポーズされたと言われています。

そのようなことから、このハンガリーウォーターは別名「若返りの水」ともよばれ、現在でもヨーロッパを中心に語り継がれています。

現存する最古のレシピによると新鮮なローズマリー、タイムをブランデーで蒸留して作られていたそうです。
その後、ラベンダー、ミント、セージ、マジョラム、モッコウ、ネロリ、レモンなども加えられるようになったそうです。


手作り無添加石けん専門店のリズボタニカです。
2011年より東京の小さな石鹸工房から、小さな規模のメリットを最大限に生かし、
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posted by Ventvert at 23:53 | ●美容・健康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする