浜尾四郎探偵小説コレクション(第1巻): 浜尾四郎「島原絵巻」「探偵小説作家の死」 Kindle版

浜尾四郎探偵小説コレクション(第1巻): 浜尾四郎「島原絵巻」「探偵小説作家の死」 Kindle版




浜尾四郎は、日本の検事、弁護士、探偵小説家。子爵。貴族院議員。戦後の版では「浜尾四郎」表記が一般的である。作家活動は実働足かけ6年に過ぎず、作品量は長短20篇に及ぶだけだが、戦前派作家として逸することのできない足跡を残している。

【目次】
島原絵巻
富士妙子の死
彼が殺したか
黄昏の告白
正義
夢の殺人
探偵小説作家の死
虚実――あり得る場合
正  義
不幸な人達
救助の権利
殺された天一坊
夢の殺人
彼は誰を殺したか



posted by Ventvert at 09:00 | Kindle版 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

伊波普猷「をなり神の島」: 伊波普猷コレクション002 Kindle版

伊波普猷「をなり神の島」: 伊波普猷コレクション002 Kindle版



伊波普猷「をなり神の島」は、柳田国男とともに沖縄研究の師祖と仰がれる著者が、多年にわたる研究成果を集大成した古典的著作です。「をなり神」をはじめ14の論文を収録しています。沖縄を知ろうとするものにとって、逸することのできない文献です。「をなり神」は1927年に雑誌『民族』に発表され、柳田国男の絶賛を受けました。本書と『日本文化の南漸』は著者の民俗学上の代表作。『伊波普猷全集』第5巻に収載されています。
本書はkindle用に編集加工した復刻版です。

伊波普猷コレクション002
伊波普猷「をなり神の島」

■著者
伊波普猷(いは ふゆう)
1876-1947
伊波普猷さんは、沖縄県那覇市出身の民俗学者、言語学者、沖縄学の父として知られる。琉球の言語史,文化史の研究に貢献多く,特に古謡集『おもろさうし』を中心に,琉球の古代史,古語,古俗を実証的に研究した。『古琉球』 (1911) ,『おもろさうし選釈』 (23) ,『南島方言史攷』 (34) ,『琉球戯曲辞典』 (38) など著書が多い。また,廃藩置県は島津氏の琉球征伐とは異なり,日本への隷属ではなく,日本の一県となったことを意味するとして琉球の尊厳を説き,講演や執筆でその啓蒙に努めた。(ブリタニカ国際大百科事典より)

■目次
をなり神 / 1
南島古代の葬制 / 27
朝鮮人の漂流記に現れた十五世紀末の南島 / 73
かざなおり考 / 145
琉球再紗の發生 / 175
生長する石 / 209
親國人の性生活 / 227
八重山のまくた遊び / 241
ヤガマヤとモーアソビ / 253
アヤゴに現れたクイキヤー踊 / 265
鬼界雜話 / 277
古琉球の武備を考察して「からて」の發達に及ぶ / 289
つきしろ考 / 319
南島の稻作行事につきて / 367

■底本
タイトル
をなり神の島
著者 伊波普猷
出版者 楽浪書院
出版年月日 1942 2版

※このデジタル画像書籍は、底本の複製です。
※読書端末によっては、ご覧になれないものもありますので、無料サンプルなどで確認してからご購入されたほうが無難かと存じます。

【画像版の説明】
この電子書籍は、書籍の版面を複写した画像版で、読みやすくしたデジタル復刻版です。
テキスト版ではありませんので、ご注意ください(版面固定型)。
なるべく大画面のタブレット、パソコン等でご覧になることをおすすめいたします(7〜8インチ以上のもの)。



posted by Ventvert at 20:00 | Kindle版 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

図研会会員詰将棋創作集 第1輯: 将棋実力アップ古典シリーズ005 Kindle版

図研会会員詰将棋創作集 第1輯: 将棋実力アップ古典シリーズ005 Kindle版



詰将棋第三弾!!
「図研会会員詰将棋創作集 第1輯」は、藤井四段の登場で大ブームの将棋の高度な実力をつけることのできる名著です。
佐賀聖一、村山隆治、藤井朗、岡田秋霞、松本守正、土屋春雄、岡田紀郎、麻植長三郎、有馬康晴、土屋健の詰将棋作家達による、当時の詰将棋の精鋭が創作した極めて難度の高い詰将棋です。
あなたもチャレンジしてみてはいががでしょうか。

「昭和の初期から大東亜戦争の末期までの詰将棋界は、当時松本市で発刊されていた、『将棋月報』という詰将棋専門誌が牛耳っていたと云っても過言ではあるまい。そしてその中から幾多の俊才が芽生え、抜群の才能を惜しまれつつ(略)。曰く、酒井桂史、藤井朗、岡田秋霞、佐賀聖一、北村研一、有馬康晴らである。また朝日新聞紙上で活躍した、アブリ出し図式の渡辺進という青年も、忘れられない人である。これらの俊才が、私の詰将棋における恩師である、土屋健、里見義周の両氏とともに、今日の隆盛を誇っている昭和詰棋壇の基礎を開拓したのである現代の若き詰将棋作家達は、”温故知新”という論語を充分に咀嚼して、先達の作品を鑑賞して欲しいと思っている。楽しませる作品の見本でもあり難業苦行の足跡でもある。」(古今短編詰将棋名作選より引用)

本書は、将棋の実力をアップしたいひとたちのために、将棋の古典シリーズをkindle用に編集した復刻版です。
将棋実力アップ古典シリーズ005

■著者
土屋健
氏の健はペンネームであり、本名は杳といった。伊豆の大仁に住んでいたので伊豆彦というペンネームも、よく使用していた。昭和33年秋の狩野川台風により、一家全員が犠牲になった。「図式習作集」の著書がある。(古今短編詰将棋名作選より)

■底本
タイトル
図研会会員詰将棋創作集 第1輯
著者 土屋健
出版者 土屋健
出版年月日 昭和18(1943)
※このデジタル画像書籍は、底本の複製です。

※国立国会図書館ウェブサイトでインターネット公開(保護期間満了)となっている、著作権の切れた本の画像に修正・加工をくわえて、kindle用に読みやすくしました。
※読書端末によっては、ご覧になれないものもありますので、無料サンプルなどで確認してからご購入されたほうが無難かと存じます。

【画像版の説明】
この電子書籍は、書籍の版面を複写した画像版で、読みやすくしたデジタル復刻版です。
テキスト版ではありませんので、ご注意ください(版面固定型)。
なるべく大画面のタブレット、パソコン等でご覧になることをおすすめいたします(7〜8インチ以上のもの)。



posted by Ventvert at 17:47 | Kindle版 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

イタリア語四週間

イタリア語四週間

「イタリア語四週間」は、発音、名詞及び名詞に付添う品詞を説明し、主として動詞のことに移り、会話、手紙、長文訳読にまで学習できます。また毎日の課外に練習問題を課しているようです。

■著者
徳尾俊彦 1887-1942
徳尾俊彦は、日本のフランス語学者・イタリア語学者。1921年東京外国語学校フランス語科卒、大阪外国語学校教授、関西大学教授。陸軍大尉で予備役となっていたが応召し少佐。仏印に従軍し航空機事故で死去。フランス語、イタリア語の教科書などを多数執筆した。(ウィキペディアより)


イタリア語四週間00016.jpg
イタリア語四週間00017.jpg
イタリア語四週間00018.jpg

くわしくはこちらから








【年収400万円からのお金の増やし方】
不動産投資・運用を無料でプロがゼロから教えます。
「不動産の窓口」は、不動産投資をお考えの方に、
最適な専門家をご紹介するサービスです。

posted by Ventvert at 19:00 | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

坂田三吉&小林東伯斎「将棋秘手 附・詰将棋」

坂田三吉&小林東伯斎「将棋秘手 附・詰将棋」

坂田三吉&小林東伯斎「将棋秘手 附・詰将棋」は、あのレジェンドの坂田三吉さんも共著者になっている本です。
定石の必要性から始まり、初心者の上達法などがかかれています。
最後の方に詰将棋ものっていますので、伝説の将棋指し坂田三吉さんと時空を超えて相まみえるような気分も味わえるかもしれません。


■著者
坂田三吉(さかたさんきち)
[生]明治3(1870) [没]1946
将棋棋士。将棋では天才とうたわれ,1916年独学で8段に昇進し,38年には第2期名人戦に出場した。関根金次郎との名勝負は有名である。没後,日本将棋連盟から名人位と王将位を追贈された。将棋一途に生抜いた数奇な生涯は第2次世界大戦後劇作家北条秀司の手で『王将』として劇化され,芝居や映画,演歌で人気を博した。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より)

小林 東伯斎(こばやし とうはくさい)
[生]文化8年(1811年) [没]明治31年(1898年)
江戸時代末期から明治時代にかけての将棋指し。天野宗歩門下。八段。紀伊国(和歌山県)出身。小林定楠(諱)、小林東四郎(字)とも名乗る。

紀州にて生まれたとされている。当初の足跡には不明な点が多いが、大橋分家の大橋宗与から受けた四段の記録が残されているため、当初は大橋分家の門下で修業したものと思われる。
その後、関西へ戻り、大阪で生活していたようである。
天保15年(1844年)2月、後に棋聖と称される天野留次郎(天野宗歩)が将棋修行のために大阪を訪れ、左右香落とされで対戦し、二連敗する。後に天野宗歩の弟子となり、市川太郎松、渡瀬荘次郎、平居寅吉と並び、「天野宗歩の四天王」と呼ばれるようになった。宗歩の評では、将棋の実力では市川太郎松に次ぐほどだという。しかし、宗歩との対戦記録はこのときのものが最後であり、また嘉永3年(1850年)、宗歩が妻のために建立した墓の台石に宗歩門下49名の名が刻まれているが、小林の名はそこにはないことから、宗歩とはさほど親しくなかったのではないかとも推測されている。
天野の死去後には、棋客を求めて全国を渡り歩き、明治初期には八段に昇段した。当時の八段は次期名人候補として準名人と呼ばれ、小林の存命中に八段に昇段した者は、小林以外には大矢東吉、小野五平の2名しかいなかった。
明治時代に入って家元の伊藤家らは幕府の将棋所の地位を失い、家元を中心にした将棋界の体制が崩れていく中、小林は家元から距離を置いて関西を拠点に活動した。この頃から「東伯斎」の号を用いるようになり、「東の宗印(十一世名人の八代伊藤宗印)、西の東伯」として時の名人と並び称される。
また、関西圏の有力者に推され関西名人(大阪名人)を名乗る。この間、阪田三吉や井上義雄らを門下に迎える。なお、現在阪田流向かい飛車として知られる戦法は、小林が兄弟弟子の渡瀬荘次郎との対戦でその原型を使った棋譜が残っており、小林から阪田へ伝えられたものと推定されている。
明治24年(1891年)には、八代伊藤宗印の弟子で関西遊歴中の関根金次郎(後の十三世名人)と角落ちでの指導対局をしている。
関根は、関西遊歴は小林に教えを乞いたいがためであり、死にもの狂いで対局したと回想している。一局目は小林が完勝し、二局目も小林が勝勢であった。小林は、遥々東京から来た関根を二連敗で帰すのはかわいそうだと考え、関根に花を持たせるために指し掛けとすることを提案した。しかし、関根はこれを断り、二局目も結局小林の完勝であった。対局後、指し掛けの提案を断って最後まで指しきったことに感心した小林は「勝負度胸といい手筋といい得難いものじゃ。宗印先生は、よいお弟子を持たれた」と周囲の人々に聞こえるようにわざと大きな声で関根を褒め称えたという。
1898年に大阪で死去。小林の死後、弟子の阪田と井上はともに八段にのぼり、名人の候補にもなった。特に阪田は小林の名乗った関西名人(大阪名人)を引き継ぎ、東京の名人であった関根に対抗した。(ウィキペディアより)


坂田三吉「将棋秘手  附・詰将棋」00011.jpg
坂田三吉「将棋秘手  附・詰将棋」00012.jpg
坂田三吉「将棋秘手  附・詰将棋」00013.jpg

くわしくはこちら







posted by Ventvert at 17:31 | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする